snooze.

自分語りしかない

ここからまた始めるために

みやのまもるさんについてのわたしだけの思いと欲の話なので勝手な解釈も勝手な承認欲求も死ぬほどあるのでこれは創作だと思って読んでください 誰かを否定したいわけでも誰かを責めたいわけでもなんでもなく、ただわたしの心の整理のためと承認欲求の記事です

 

 

光射す方へ

光射す方へ

 

わたしはこの曲をはじめてラジオで聞いたとき、「やっと」と思った。やっとみやのさんがわかってくれた、やっと叫んでくれた、わたしもみやのさんもやっと解放されたと。

でもこの曲はやっばり生の声を、生きてる宮野真守の声を歌声を直に感じたい、そしてこの曲に対してできるかぎり新鮮な感情を大事に抱えて生きていきたいと思ったからリリースされてからあの発表を見るまで聴かないようにしていたし、CMも流れた瞬間イヤホンを外していたし、MVだって1度しか見なかった。(見たんかい)

 

わたしが宮野真守という存在を認識しはじめたのはたぶん2005年で、どこでどう好きになったかなんてもう何も覚えてないけどいつだったかのジャンプフェスタではじめて生で宮野さんをとおくから見た、ということを最近になって思い出した。本当に記憶がないんだけどどんどんと役者としてのステージを駆け上がっていきながら人をとにかくこれでもかと笑わせている宮野さんを見ていたらいつのまにか虜になっていて、それでおこづかいをためてDiscoveryを買った。今でこそ何よりも大事なCDだけど、ろくな自我もない中学生のわたしはただただ「きれいな声だな」「でもおもしろくはないな」みたいなことを考えてたような気がする。ロクな感想じゃねえマジで。ぶん殴りたい。これが何もかものはじまりだったっていうのに何を言ってんのわたしは?殺したら今宮野真守さんに救われているわたしがいなくなってしまうし大好きで信じていているオタクたちと巡り会えなくなってしまうのでめちゃくちゃ我慢して顔がボコボコになるまで殴りたい。生きてくれよお前は。お前が生きないとこんな誰も幸せにしない文章を書いている意味がない。わたしは宮野真守と生きたいんだよ。そしてそれを承認されたいんだよ。話が逸れた。

そして「…君へ」がリリースされて近所のアニメイトに買いに走った中学2年生のわたしは、シュリンクを破きに破いて開けた瞬間、「絶対いく!!!!!!!!!!!!!!!!」と叫んだ。なぜなら1stライブツアーのお知らせが入っていたから。それまでひとりで出かけるのも、なにかのチケットをひとりで行くために買うのも、申し込むのも、何もかも親に禁止されていたけれどこれだけは、これだけはどうしても行かせてほしいと何度も何度も頼み込んで、行き帰りは親同伴、友達と行くという条件付きで承諾を得た。たぶんその数日後、部活の再登校までの間にPCを起動していつものように公式HPを見るとなにやら動画がアップされている。あのときの心臓の動きは忘れない。動画だけが動いていて、わたしと世界は止まっているような気さえした。それでもネガティブな気持ちはなく、ポジティブな気持ちもなく、一緒に部活に行く約束をしていた友人に「宮野真守、結婚だって」と焦点の合わない目で伝えたことは覚えている。その日それ以降は一切覚えていなくて、数日後にただ2chでアンチなのかガチ恋だった人たちなのかわからないけど大暴れしているのを見て「怖い」と思った。でもただのひとりのファン、そしてこどもであるわたしはただ怖くて何もできなくて自分を守る方法もわからなくて荒れていくスレッドを見るしかなくて、アンチの工作だろうとなんだろうと怒りや憎しみや失望の矢が宮野真守さんに向けられていることが苦しくて苦しくて痛くてしょうがなくて、それでも何もできなくて。そのころはただ毎日学校生活を過ごし、帰ってきたらPCの画面に向かっていた。それでもわたしには1stライブに行けるという希望があって、何があろうとも宮野さんさえ元気でいてくれれば、歌っている姿を見せてくれたらそれでいい、あと少し、あと少しだからと思っていた。

BREAKのジャケットが公開され、BREAKという言葉の意味を反芻して信じたい気持ちと不安な気持ちの両方を抱えながらまたアニメイトに走り、シュリンクを破りすぐに再生ボタンを押した。なにもかも好きだと思った。バラエティに富んだ曲ばかりで、わたしの好きな芝居をする宮野真守の歌だ!と思った。その中でも一番好きだったのはぼくのキセキで、宮野真守自身のあたたかい部分を感じて、自分が自分であることを肯定されているような気がして、そしてどんな傷を受けても宮野真守宮野真守であると信じられたからだった。

2009年4月18日、約束通り友人の母に友人とO-EASTまで送ってもらったわたしは、サイリウムとTシャツとタオルを買い、運良くなかなか早い整番を手に、ほぼセンター2列目あたりに友人と立つことができた。客電が落ち、サイレンのようなものが鳴り、Break a Roadのイントロが鳴り、その人は赤い羽を見に纏ってちいさく震えながら立っていたように見えた。

誰かのせいにしていた bad days
籠の中は 生きる気がしない
傷跡が 証明するんだ break a road tonight show me your life

 

たとえリスクがあるとしても 信じる道選んでwith you
後悔しない場所で生きるよ たった一度の今日だから

語彙もないこどものわたしはこの人をただ、ただ「好きだ」と思った。誰かの評価も、受けた言葉の傷も、ただ自分のやりたいことをやるために強さも弱さも抱えて生きていく覚悟を決めたからこそのこの1曲目なんだ、と思った。なんてかっこよくて人間らしくて、今を生きている人なんだろう、こういう人になりたい!と思った。感想が中学生らしくてかわいくないですか?かわいいね〜

それからはライブにマンネリを感じたり誰かとすれ違ったりもしたけど2015年までは大きく遠ざかることはなかった。ただ本人が楽しいことを楽しいようにやりたいことをやりたいようにしているように見えていたから。わたしがそれを拠りどころに、笑っていられたから。

まあ既に言及してくださっているから書いてしまうけどWONDERING事変のことはもう本当にどうしようもなかった。わたしは1日しかチケットを取っていなかったため、周りにのまれてそれが正解なんだと思い込み大きな罪を犯した。あのときのみやのさんの表情が今でも頭のどこかに貼りついたままで、わたしが目にできる舞台の上でだけはこんな表情は絶対にさせない、という傲慢な誓いを立てた。

その後どんどんアンコールがシステムでできていると言っている人間が増えていき、じゃあ1人も声を出さないでいて出てきてくれると思うのか?わたしたちが声をあげて呼ぶから出てきてくれるんだろうが?という怒りには満ち満ちていました。わたしは2009年、シングル2枚アルバム1枚でもう歌う曲もないのに涙を流しながら舞台袖から上半身を出してからセンターに歩いてきて大粒の涙をこぼしながら「またすぐにやるから!今年中にやるから!」と座り込みながら言ってしまった上に実行してしまった25歳のみやのさんのことをずっと忘れない。

 

2015年というのはわたしが接客のアルバイトに熱が入っていたり現実世界で恋をしていたりして、「自分」というものが確立されていくような感覚が楽しくて、それこそ近づくことというか本当の意味で寄り添うことは99%できないひとを拠りどころにしなくても生きていけるのかも、と感じていたのかもしれない。それでもAMAZING!に行くまでは熱はあった。熱があったのに、はじめて行ったはじめてのライブであんなに好きだった歌も聴けたのに、終演後には理由もわからないけれどただ、ただ「かっこいい人」「強い人」「何もかもを跳ね除ける人」になってしまったと感じた。それが「こちらがわの声が聞こえない、聞かないようにしている人」にわたしの中で変化していってしまった。それには理由があって、ほんとうにあちら側にとっては小さなことなのかもしれないし、逆にあちらがインターネットのあれそれを見た傷なのかもしれないけれど、Beautiful smileやONEやサンシャインベイベーや初恋、そのほかにも昔の曲を「知らないよねみんな」「知ってる人いるかなあ」「知ってる人いないよね」と何度も何度も言われたことだった。そのころからのファンがいることを、そしてわたしがいることを否定されているような気がした。とんでもない被害妄想というやつです。そのうえ、ものすごい勢いのトリミングや好きなものの話をあまりしなくなったこと、自分の仕事のことでなく自分自身の話をあまりしなくなったこと、日常の些細な笑いがほぼ見えなくなったこと、「宮野真守という商品」と言っていたこと、ほかにも書ききれないほどの厚い厚い壁を作られている、と感じた。だからもう何もかもおしまいにしたくなった。一度聴いたはずのシャインの予約もしなかった。厄介なオタクだ。厄介だ………終わりたい……わたしのことも見えていないしいなくなっても100%気付かれないしもうどうでもいい……とまで思った。いやほんとうに厄介だな!芸能をやる人間を何だと思ってるんですかね。ここからもう罪の意識がとまらなくて逃げたい、逃げたい、オタクも嫌い、逃げたい、とずっと考えながら日々を過ごしていた。

それでもAMAZING!の後に終わらなかったのは、こんなインターネットの海には書けない出来事があったからであって、その人には本当に感謝してもしきれない、わたしの宮野真守という人間に出会ってからの人生を救ってくれた。所謂「お告げなんだ」と感じてはいたものの、やはり数日これからどうするかは迷っていた。もう辛い思いをしたくなくて。でもやっぱりわたしはあの赤い羽を纏った人間の輝きを覚えている、覚えている、覚えている!と思い"シャイン”の予約をした。でも響かなかった。わたしはずっと宮野真守という人間があるキャラクターと同一視されて消費されていることもそういう行為をしている人間たちの首を絞めたいくらいに嫌だった。頼むからこれ以上仮面を被らせないでくれ、厚くしないでくれ、やめてくれ、応えないでくれ、やめてくれ、応えないでくれ、やめてくれと思って音だけを、声だけを感じて、言葉はなにも聞こうとしなかった。恐怖だけが襲い掛かってきた。

その後もどこか耳を塞いだり目を塞いだりしながら、ずっとずっと会場に来ることだけはやめられなかった。なぜでしょう?ここはわたしも今考えても全くわかりません

なぜかは置いておいても

君と信じたこの夢は 何よりも輝くよ

一緒に歩いて行けるのなら怖くないんだ

間違いないって証明するよ これが真実のharmony

Chase the chance

Chase the dream

Chase your love

「もうなんだっていい!わたしが、わたしだけがこの人の語る愛を信じさえすればそれが真実だ」と思った。でもそれに気づいたのは2年後のLOVING!で仲良くなったフォロワーが歌詞についてツイートしているのを見たからだった。避けていたものを、好きなオタクがただシャインを好きだったというだけの事実がわたしの誤解を、絶望という闇を照らしてくれた。

その後も目を塞ぐことも耳を塞ぐこともあったけどどちらも塞ぐことだけはやめにした。EXCITING!の鎖の演出も目を塞いだし、BLAZING!の「ヒーロー」を自称することのおそろしさにも耳を塞いだ、だから「みんなもヒーロー」なんて言葉はもう聞こえていなかった。

でも、どうしても、理由はわからないけどどうしても離したくなくて、離れたくなくて、(離れていったいろんなファンをたくさん目にしてきたからかもしれない)しがみつくことは許して、と言いながら、わたしはこの人の「君」が「ファン」であると思いこんで生きてきたことを心の奥の奥の奥から力任せに引っこぬいた。

 

そして2020年6月22日、観客のいない中「みんなも一緒に!」と叫びながら、緑に囲まれながら、「光射す方へ」を観客に伝えようとなんの飾りもないままに歌う宮野さんを見てただ高い声で「好きだ」と叫んでその場で後転した。

「本当の自分になるから」

「罪でも 嘘でも」

ごめんなさい決めつけてしまって、ごめんなさい押し付けてしまって、ごめんなさい勝手なことばかりして、ごめんなさいと思いつつ伝わってしまっていることにちょっぴり感謝はしてしまった。

でもそこに続く

「笑っていて欲しくて」

あの赤い羽を纏っていたときと変わらず、今を生きている宮野真守がそこにいる と心から感じて、もう何もかも覚悟を決めた。間違えてしまったらごめんなさい、罪は罪として贖罪をします。それでもわたしは本人だろうが他人だろうが傲慢と言われようが貫きたいことを貫くから、受け止めてもらえるようなことを言葉にできるよう努めます、と今は思っている。

 

いつも最高の背中を見せてくれて手を差し出して待っていてくれる宮野真守さんが宮野真守さんの考える人生を全うできるように祈っています。

 

わたしはやっぱり、みやのさんの笑った顔がいちばんだいすきです。

 

僕は君と夢を見たいんだ 

新しく光れ/サンボマスター

ふるえる声は生きてる証 もう一度始めよう

アイ ウォン チュー/サンボマスター

ここからまた始めるために 越えて 進めよ

光射す方へ/宮野真守